北海道のおばあちゃんと思い出の北海道ラーメン

それは転勤で名古屋で勤務していた時のこと。

当時は17時30分になると、自動的に代表の電話は留守電になるようになっていた。

そして、通称『裏番』と呼ばれる社員だけが知っている番号があった。

夜7時位だっただろうか、電話がなり、たまたま裏番の電話を取った。

すると電話をかけてきたのは、東京の実家の母であった。

どうしたのか聞くと、北海道の母方の祖母が亡くなったという訃報だった。

驚きと共に話を聞くと、北海道の祖母は1人で住んでいたため、知り合いの方が葬儀などの準備を進めるので、急いで北海道に来るようにとのことだった。

電話を切るとしばし呆然とし、すぐ気を取り直して、業務の社員に忌引で休むことを伝えて、すぐに仕事を終わらせて、一度マンションに帰り、そのまま身支度をして、翌日の朝一で北海道へと向かった。

祖母は千歳空港から電車で乗り継ぎ、途中特急を使っても凡そ2時間ほどかかる所に住んでいた。

駅からタクシーで祖母の家に行き、その晩通夜を終え、翌日葬儀となった。

祖母は余りの人の良さに、泥棒が入って来て、何もないので、ご飯を食べさせて帰してあげるという信じられないエピソードの持ち主だった。

近所の方々からも親しまれ、余り覚えてないが、結構な参列者の方々が来てくれた。

その時たまたま出会った小学生の少年がいて、色々話してみると、余りにも素晴らしい人間性の少年であった。

つぶらな澄んだ瞳で、自分のことを見つめながら、色々話した記憶がある。

顔はすっかり忘れたが、あんなにも純粋で、澄んだ瞳で素晴らしい少年には、後にも先にも出会ったことはなかった。

全てが終わって父母と姉と自分が最後に集まり、思い出話しをして、それぞれ住んでいる場所が違う上に、自分は仕事があるため、先に名古屋へ帰ることにした。

またまた長時間電車に乗り、千歳空港に着いた時、はたと思った。

そう言えば北海道のお土産を買うのを忘れていたため、千歳空港で少しお土産屋を探していると、たまたま威勢の良いお兄さんが、『北海道で一番旨いラーメンですよ、どうですか?』と声をかけて来た。

もう時間もないことから、お兄さんのことを信用して、そのラーメンを購入した。

名古屋へ戻り、そのラーメンを食べてみると、びっくりする程余りにも旨いラーメンで、北海道には祖母がいた関係で何度か行ってラーメンを食べたが、その中でも一番旨いラーメンだった。

北海道と言えば、黄色いちぢれ麺で醤油ラーメンが旨いと思っていたが、そのラーメンは当時としては北海道では珍しく、とんこつが入ったラーメンだった。

黄色いちぢれ麺でこしのあるラーメンだが、スープの色は黒い色をしていて、うまそうには見えなかったが、こんな旨いラーメンがあるのかと思うほど、本当に旨いラーメンだった。

余りにも旨いため、これは取り寄せしようとしたが、まさかそこまで旨いとは思いもよらなかったため、ラーメンのパッケージを捨ててしまっていた。

しかし、何となくの記憶で、確か『黒龍』という名前だったと思い、電話で問い合わせたが、そんな名前のラーメンはありませんと言われてしまい、色々ネットなどで調べてもそんな名前のラーメンは見つかることはなかった。

自分が人生で一番旨いと感じたラーメンは、東京の荻窪の春木屋で、恐らく二番目に旨かったのが、この『黒龍』(結局違う名前のようだが)となった。

北海道には何度も行っていたため、色々思い出があるが、とりあえずそれはさておき、ふと思い出した北海道のおばあちゃんとラーメンの味。

またいつか北海道に行って旨いラーメンや魚介類を食べたいものだ。

何せ北海道はラーメンはもちろん、蟹やウニ、旨いものの宝庫である。

北海道の積丹半島で食べたウニやサクラマスの寿司など、旨い物は沢山ある。

そんな中での懐かしい思い出の北海道のラーメン。

またいつか出会える時が来るかも知れない。

故郷の水

最近良く感じることがある。

それは故郷の水の美味しさである。

昔は地下水から汲み上げて、それを水道水に使っていたらしい(浄水場もあったと思うが)。

聞いた話によると、地下水の水は夏は冷たく、冬はさほど冷たくならず、飲み水ととしては、ある意味理想的な水だった。

やがて人口増加に伴い、家庭用廃水が川に流出して、その影響かは不明だが、地下水の水を使うのをやめた。

昔は川に鮎がいたらしいが、川の汚染で姿を消した。

しかし、某番組で紹介していたが、様々方々の努力によって川の水も綺麗になり、鮎が戻って来たそうだ。

そんなこともあってか、故郷の水も、もしかすると再び地下水を使うようになり、美味しく感じたのかも知れない。

浄水器を使う家庭もあると思うが、使わなくても美味しいと感じる故郷の水。

元々ジュースより水を飲んでいた自分としては、故郷の水が美味しくなったことは嬉しいことである。

またいつか故郷の川に行ってみて、どのようになっているか見たいものである。

TTJとジェフさん

以前からAGTやTTJ関連の動画は観ていたのは書いて来た。

そして、『そう言えば、ジェフさんはインスタとかやってるかな、、、』と思い、探してみたら、YouTubeの概要欄にインスタのアカウントがあったので、DMすることにした。

何せジョナサン&シャーロットやクリスティーナ・ラモス、ダニエル・エメットなど、素晴らしいアーティストを日本語で紹介してくれたからだ。

そして、たまたま本家のBGTだろうか、TTJにも載っているのと同じ動画をたまたま観てて気付いたことがあった。

それは確かジョナサン&シャーロットの一気観の動画だっただろうか、本家の動画で歌い終わって流れるBGMとTTJで流れるBGMが違っていて、明らかにTTJで流れるBGMの方が素晴らしい曲を使っていた。

感動した後に更に感動するBGMを使っていたのだ。

(訂正、ジェフさんよりDMがあり、BGMは最近のものに差し替えて使っていると連絡があった)

なのでそんなことも含めてDMした。

フォロワーは4000人程居るので、まぁDMしても読むことはないだろうな、、、、と思っていた。

そしたら何と!!

ジェフさんから、DMに『いいね』のマークをつけてもらい、さらにフォローリクエストまで来た!!!

びっくり仰天して、こうしてブログを書いている最中に今度はジェフさんから、DMが来て、『メッセージありがとうございます!嬉しいお言葉を頂き、元気が出ます、、略、、、ブログも教えて下さい、、、リクエストがあれば、挑戦していきます!、、』と書いてあった。

これまた、またまたびっくり仰天!

戻ると、ジェフさんは単に翻訳だけでなく、BGMなども動画に合うのもを使って本家の動画を更に良いものにしていたのだった(上記訂正した通りだが、差し替えたにしても良いものにしたのは変わりはない)

まさに、I’m speechless !

言葉にはならない嬉しさがあった。

ありがたくて涙が出て来た。

この場を借りて、、、『ジェフさん、これからもTTJとジェフさんを応援していきます。

素晴らしい翻訳や楽曲探し大変にありがとうございます!!』

とお礼を述べて終わりしようと思う。

ジェフさんとTTJに栄光あれ!!!

4度目のトップガンマーヴェリック

映画館では姿を消した、トップガンマーヴェリック。

Amazonプライム・ビデオで観れるので、また観ることにした。

当然ながらストーリーから何から全て分かっている。

やはりそれでも胸を打つものがある。

もうブログには何度も書いたので、今回は簡潔に書こうと思う。

やはりマーヴェリックはレジェンドパイロットであり、昔の相方のグースを失った十字架を背負ったまま、パイロットであることが人生そのものであるが故に、受勲、表彰、40年間でただ1人敵機を撃墜し、本来なら少将に昇進しているのを拒み、大佐でいることに自らの意志で留まっていた。

生死を分けるパイロットであることが人生そのものであるマーヴェリックは、ある意味で悲劇のヒーローと言えるのかも知れない。

しかし、超難関ミッションを成し遂げて、最後までルースターの入隊を、ルースターの母親から『入隊させないで欲しい』と言われたことを言わず、ルースターから敢えて恨まれ、最後にはルースターから『父親の代わり』と言わしめたマーヴェリックは、ようやく長い年月に渡り背負っていた十字架を降ろすことが出来たと思う。

パイロット同士の絆、生死を分けた者たちだけが分かり合える、本当の絆をまた新たにつくることが出来た。

今回の感想は、正直自分であれば、3階級特進の大将として、若い世代に今まで生きてきたパイロット人生の様々な経験を教えて欲しいと思うが、大将になれば、現場を離れてパイロット人生に終止符を打つことになる。

それに映画の中で語っているように、マーヴェリックのような伝説の熟練パイロットの飛行機技術や勘のようなものは、教えられるのものではない。自ら習得するものだと思う。

パイロットであることが人生そのものであるマーヴェリックには、結局日々アップデートされる戦闘機に乗って、歳を重ねて戦闘機に乗れなくなるまで、パイロットとしての人生を全うするのが、彼の幸せなのだろう。

人それぞれ生きがいがあるが、マーヴェリックの生きがいはパイロットであることだと考えた時、昇進やその他の人生はあり得ないと思う。

見る度に見方が変わるトップガンマーヴェリック。

またいつか観ることになるかも知れない。

とにかく今回は胸を打つ1人のパイロットの人生物語を観たという感じだった。

やはり涙が溢れて仕方なかった。

マーヴェリックよ、永遠なれ。

フレディ・マーキュリー& モンセラート・カバリェ

音楽のお宝動画探しの旅。

ついついジョナサン&シャーロットやクリスティーナ・ラモス、ダニエル・エメットなど、観て聴いていて、たまたまQueenのフレディ・マーキュリーとモンセラート・カバリェが歌う、バルセロナオリンピックのテーマ曲となった、『バルセロナ』を観て聴き入っていた。

このモンセラート・カバリェ(2018年10月6日 85歳没)はこの動画ではご高齢に見えていたが、素晴らしい歌声の持ち主だ。

以前ブログにも『バルセロナ』のことは少し触れた。

そして、余りにも美しく純粋な歌声なので、調べてみると、スペイン出身のオペラ歌手(ソプラノ)で、ベルカント歌唱法と呼ばれる、イタリアの伝統的な歌唱法で、オペラなど声楽における歌唱表現を支える歌唱法を駆使するようだ。

端的には『美しい歌唱』ということになるらしい。

そしてこのカバリェのことを調べていると、なんと!

親日家として知られるQueen(フレディ)が、共作で日本語で、このカバリェと一緒に歌っている『ラ・ジャポネーズ』という歌を歌っているのを見つけた。

Queenは、『Teo Toriatte』(手を取り合って)という曲の中でサビの部分を日本語で歌っているが、それ以降にこの曲は作られたようで、早速聴いてみた。


曲調は恐らく外国人の日本に対するイメージというか、恐らくフレディが抱く日本のイメージの曲という感じだ。


しかも、『手を取り合って』以上に日本語が多用されており、かなり驚いた。


まだ殆ど聴き込んでないが、2人の歌声は素晴らしいこともあり、また聴こうと思う。


フレディがこのカバリエのことを尊敬していてることから、バルセロナオリンピックのテーマ曲に繋がっている気もする。


とにかく日本語をこれ程多用しているので、やはりフレディは親日家ということも頷ける。
この曲の存在はQueen大好きの自分も知らなかった。


Queenはやはり前期の方が好きな曲が多いので、恐らく今までその存在に気づくことは無かった。


とにかくQueenが大好きな方で、知らない方々は一度聴いてみることをお薦めする。


いずれにせよ、この2人の歌声は素晴らしいのは間違いない。

The Prayer(ジョナサン&シャーロット)

音楽動画のお宝探しの旅。

最近余り良いのを見つけられていない。

ただ、ついどうしても観て聴いてしまう曲がある。

それは以前にも書いたジョナサン&シャーロットの『The Prayer』

日本語では『祈り』となるが、余りにもメロディと歌詞が良すぎる。

もちろんこの2人のデュオは素晴らしいが、選曲がとても良い。

この曲は元々は、アンドレア・ボチェッリに書かれた曲のようだ。

以前ブログにも書いたが、アンドレア・ボチェッリは、かのルチアーノ・パバロッティとズッケロ(実はこの人のことは何も知らない)から見いだされた、盲目のテノール歌手である。

本当にメロディと、歌詞がめちゃめちゃ素晴らしい。

そしてこのジョナサン&シャーロットの関係も素晴らしい。

会場の観衆のリアクションを見てると、『そうそう、そうなる、そうなる』というリアクションが随所にあり、それもとても好きである。

あの風貌からは、想像出来ない素晴らしい歌声。

シャーロットの言う通り、人を見た目で判断してはいけない。

会場も審査員も最初はちょっと期待していない感じであるが、歌った瞬間に皆の表情が変わる。

当然であろう。

特に気になるのは、審査員長のサイモン・コーエルの表情だ。

とても良い表情になる。

こういう表情まで変えてしまうような効果を、もう一つの角度から見た、以前命名した『鈴木瑛美子』効果だ。

彼女の歌も人の表情を変えてしまう(顔だけではないが)。

涙が出て来る素晴らしい曲であり、2人のデュオとしての歌声も素晴らしい。

既にAppleミュージックにもあることから、恐らくプロとしての道を歩んでいるのだろう。

他にもYouTubeに動画はあるが、やはりこの曲が自分としては非常に好きである。

こんな歌詞が書けたら良いと思うが、いつか作詞にもチャレンジしてみたいものだ。

まだまだ続く、音楽動画のお宝探しの旅。

また見つけてブログを書く気になったら書こうと思う。

Googleマップ口コミの衝撃

つい最近、たまたまGoogleからメールが来ていた。

何かと思って読んでみると、3年前にたまたま購入した自転車屋さんの口コミで、余りにも対応が良かったため、書いたものだった。

一言すれば、『対応がすごい良いのでお勧めです』という旨を書いたのだが(そこそこ長文だが)それが注目を浴びたようで、自分でもびっくりしたが、閲覧数が5000を超えたという(正確には5324回だった)。

このブログを読んだ総数以上に、たまたま書いた一軒の自転車屋さんの、たった一つの文章が5000と言う驚きの閲覧数になっていた。

自分は基本的に口コミは書かない。たまに書くことはあるが、面倒なので書かない。

基本的に自分のブログを書くスタンスは、『気の向くままに、書きたい時に書く』、、、なので、誰かの役に立つ文章というのは意識してはいない。

ブログを書く基本として、人が読んで役に立つ文章を書く、、、とか、テーマを絞って書く、、、など、書き方に関して色々あるのは知っているが、基本それは考えて書いてはいない。

書きたくなり意識して誰かのために書くことはあるが、基本は自由に表現する場がこのブログなので、敢えて何もテーマも決めず、気の向くままに書いている。

恐らく文章力はそこそこ?あるので、Googleで書いた自転車屋さんのように、役立つ情報を発信すれば、読者も増えるのは分かっているが、今はそれはしない。

読みたい人は読みつづけるだろうし、読みたくない人はいずれ離れて行くだろう。

今はそれで良いと思っている。

何か仕事的になりそうだし、うまく言えないが、閲覧数にも実はそれ程こだわっていない。

なので変わらぬスタンスで、今は書いていこうと思う。

しかし自分のたまたま書いた、口コミが5000の閲覧数になったのは驚きだ。

いつか役立つ要素も入れて書くことがあるかも知れない。

クワイアの思い出

最近音楽のお宝探しで思い出したことがある。

それは、『クワイアの思い出』


実はかくいう自分は小学生の時に、3年間、地域のとあるクワイア、つまり合唱団に属して、様々な所で歌を皆で披露していた。

当時は応募人数も結構あったらしく、オーディションもあり、自分もオーディションに参加。
その後面接があり、色々聞かれて、後日合格の一報があり、はれてクワイアの一員として、歌を歌っていた。

当時は受かると思ってなかったが、たまたま実家に残っていた、小学生一年と二年の時の担任の先生の通知表の、音楽の評価としてコメントがあった。

今でもとってあるが、『美声で声量もあり、高音もしっかりしている』、、、旨のことが書かれていた。


2年連続でコメント欄にそう書かれていたので、きっとそうだったのだろう。

その後相当前だが大人になって、たまたま実家で、見知らぬカセットテープを発見。

かけて聴いてみると、美しいファルセットで歌う、まだ小学生の自分の声だと分かった。

正直、自分でも聴いて衝撃を受けた。
大袈裟ではなく、まるでウィーン少年少女合唱団のような、透き通った美しいファルセットだった。

『こんなに素晴らしい歌声だったんだ、、、そりゃ受かるわ』、、、などと思ったものだった。

しかし色々な歌を歌う中で、たまに1人がリードボーカル的に歌うことがあったが、自分は一度もリードボーカルをしたことはなかった。

つまり上には上がいるということだろう。

当時のことは殆ど覚えてないが、その後大人になって実家に帰省した際に、ある時父親から、『お前はよくテレビの前で、好きなCMがかかると歌いながら踊っていた』と話していた。

自分はいわばニワトリの刷り込みのようにクラシック音楽が好きになったが、覚えているのは、『おもちゃのシンフォニー』という曲の第三楽章で、同じメロディが3回続けて繰り返されるのだが、徐々にスピードがあがり、それが楽しくて、家の中をぐるぐると走り回っていた。

クラシックの影響でクワイアに入った訳ではないが、音楽に対する感受性は豊かになったと思われる。

月2回〜3回の練習で大会に出たりしていた。

そしていよいよ中学生になる、クワイアを卒業する時のこと。

恐らく最後の練習だった気がするが、別れを惜しんで泣いてくれた男の子がいた。

彼は涙を流して笑顔で握手をしながら別れたのがずっと心の奥にあり、その後名簿など探したが無く、当時同じ小学校でクワイアに属していた人にも名簿を探してもらったが、結局見つかることはなかった。

そしてその頃は歌番組で好きな曲があれば、押し入れに入って大声で歌っていたが、悲しいかな、男性特有の『変声期』になり、あれだけ綺麗に出ていた高音が出なくなり、それでも女性ボーカルの歌も同じキーで歌い続けている間に、ある意味喉が潰れて、高音が全く出なくなった。

その後歌とは無縁となり、いつしかカラオケが苦手になっていた。

しかし、最近はしばらくカラオケは行っていないが、出ないと思っていた音が出ることが分かり、思っていた以上に高音が出せるようになってきていた。

流石に昔のようには行かないが、歌を忘れたカナリアではないが、また自分自身でも歌って音楽を愉しみたいと思っている。

音楽のお宝探しを観ていて、ふと昔の記憶が蘇った。

これからも自分の音楽の愉しみ方を追求していこうと思う。

限界を決めるのは、他ならぬ自分自身である。

習ったこともないピアノを弾いている自分がいる。

色々な曲もチャレンジして弾けるようになっている。

歌も色々チャレンジして、気持ち良く歌えるようになってみたい。

これからも音楽のお宝探しは続けるが、自分の出来る音楽も追求していきたいと思う。


3年目を迎えて

ブログを始めて、今月の6日で3年目を迎えた。

元々は知人向けにLINEでノートを作成して書いて見せていたが、褒められることもあったため、思い切ってブログを始めた。

英語のサポートしかなく(当時はパソコンでサポートのやり取りをしていたが現在はスマホの日本語でのサポートを受けている)、当時はGoogle翻訳を使いながら手探りで始めたものだった。

名前も軽い気持ちで書けるよう、なんのひねりもなく、『軽気でブログ』とすぐに命名した。

くだらないものから真面目なもの、音楽のことや、その他自分自身の経験なども書いて来た。

3年目を迎えて、投稿数は140になっていた。

読んでいる方の国もアメリカや中国、カナダやフランス、様々な国の方々が訪れている。

余り投稿数にこだわりはない。

ただ感じたことや考えたこと、経験したことを、気が向いた時に書いている。

そうでなければここまで続かなかったかも知れない。

これからも、そんなスタンスで、ふと思い出したことや感じたこと、自由に自分を表現する場として、ブログを書いていきたい。

誤字脱字も訂正しないこともあるが、それでも読んで下さる方々がいる。

この場を借りて感謝申し上げます。

これからも気の向くまま書いていきます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

2022年8月30日 3年目によせて

3度目のトップガンマーヴェリック

まさかと自分でも思った。

これで3度目となる『トップガンマーヴェリック』を観た。

恐らく同じ映画を3回観たのは初めてだ。


さすがに3度も観るとストーリーは分かっているが、やはり映画館で観て良かったと思う。


実は初めて観た時からずっとあのバーの女性のことが違和感となり気になっていた。

前作には出ておらず、それとなく女性の位置付けや背景は分かったのだが、マーヴェリックでさえ生きては帰れぬ可能性のあるミッションを終えて帰還し、ルースとの確執を乗り越えて終われば良かったのに、、、、と思っていた。

あの女性との最後のプロペラ機での飛行で終わるのが、感動している自分にとっては甚だ疑問だった。

しかし3度目にして自分としての、その女性が出て来る意味に気付いた感じになった。

マーヴェリックほど、戦闘での戦いの恐ろしさや生きては帰れぬ保証などない過酷さを知り尽くしたパイロットは居ないだろう。

トップガン、つまり戦闘機乗りのエリート集団であっても、実践経験、撃墜経験は殆ど皆無だ。

1人名前は忘れたが、1機撃墜した経験者はいるが、前時代のミグだ。

その中でマーヴェリックだけが実践経験と叙勲を受けるほどの功績を残しながら、昇進も拒み、大佐としてパイロットでいることにとどまり現役を続けて来た。

そんな彼には女性との出会いは一服の清涼剤ではないが、それくらいはあっても良いと思う。

ルースターと話し会う中で、ルースターから『身寄りのない、、、、云々』と言われるが、恐らくマーヴェリックはルースターの父であるグースとの死別やその他の経験から、結婚したとしても、いつ家族を失う辛さを経験させてしまうか分からない彼のパイロット人生に、結婚の道を選ばなかったのだろうと思う。

なので1人で生きて来たと思う。

今回のミッションの成功で、彼の今後の軍の対応はどうなるかは知る由もないが、自分としてはここまで『伝説パイロット』として生きて、トップガンを率いて超難関ミッションを終えたマーヴェリックには、『マーヴェリック』ではなく、『ピート・ミッチェル』として、安らぎの日々を、安息の日々を愛する人と共に生きて欲しいと思う。

今回は迫力とか生死を分ける戦いに勝利するマーヴェリックの感動の物語というより、1人のパイロットである前に、1人の人間として、平穏な生活を生きていって欲しいと願うような気持になった。

『パイロットであることが人生そのもの』と映画の中でマーヴェリックは話しているが、感動という言葉では表せない。

この映画の監督は『空を飛ぶことへのラブレター』と言っていたが、今日の自分としては、『かけがえのない命の大切さを知り尽くした1人のパイロットの人生』と言いたい。

次回作が作られるかは不明だが、あれば必ず観に行きたい。

トップガンマーヴェリック。

とても良い映画ではないだろうか。