5年目を迎えて

このブログも気付けば5年目を迎えた。

時が経つのが本当に早く、投稿数は、もう数えてないが、結構な数の投稿数になった。

とにかく書きたい時、何か考えたり、感じたり、気が付いた時に書いているが、書きたく無ければ書かないスタンスには変わらない。

なので、書くことがあっても書かなかったことも多々ある。

これからも、自分のスタンスは大切にして、ブログの名前の通り、気軽に書いていこうと思う。

本当にあっという間の5年であったが、やめようと思わない限り続けていくだろう。

購読して下さっている皆さんに感謝しつつ、、、、。

令和6年9月5日

ブラックバスの特定外来生物指定

現在のブラックバスを取り巻く環境は厳しい。

バス釣りをする人なら恐らく誰でも知っているが、ブラックバスを釣り上げた場合には、相当昔、主に滋賀県の琵琶湖が有名だが、リリースすることが出来なくなってしまった。

これは元を辿るとその昔、某政党の某大臣が、ブラックバスを特定外来生物に指定したことに端を発する。

当時の記憶なので、正確ではないが、当時ブラックバスの市場規模は3000億円と言われていた。

恐らくそれには、道具を買ったり、遊魚料(その湖や川などによる)、バス釣りに行ってそこで食事をしたり、、、なども含まれている可能性はあるが、当時は相当ブラックバス釣りが流行っていて、自分は流行っているからバス釣りを始めた訳ではないが、ブラックバスの専門の本も結構出ていた。

その頃自分が毎月必ず買っていたのは、ロッド&リールという本で、ずっと書い続けていた。

新しく発売するルアーの情報など載っている場合もあり、当時はネットでルアーなどを買える訳では無かったので、ロッド(竿)は、某ショップに予約していたものだった。

自分は以前ブログに書いた通り、メガバスのルアーやロッドしか殆ど買わなかったため、特にロッドは凄まじい人気で、その某ショップでは、予約をするのに数ヶ月待って、それから予約が出来て、実際ロッドを買うまでに、更に数ヶ月待つのが当たり前であった。

初めて購入したロッドはメガバスのF6-67Xで、それも他のロッドが予約出来なかったため、とにかく予約出来るロッドということで、このロッドを予約した。

なので実際に自分が購入出来たのは、予約待ち含めて半年以上かかって購入出来たのだった。

自分はメガバスが好きでリスペクトしているため、他のメーカーのロッドは分からないが、とにかくメガバスの人気は凄かった。

その後何年かかけてメガバスのロッドを10本ほど購入するに至ったが、とにかく入手するのは大変だった。

メガバスのルアーは予約制ではなく、そのショップに行ってあれば購入出来る感じだった。

ある時、自分がわざわざ北陸からそのショップに、出張がてら行った時、『まぁ、久しぶりですね、せっかくわざわざ来てくれたので』と、何とその時初めて実物を見た、POP-Xのマットタイガーという超レアな色のレアなルアーを奥から箱ごと出してくれて、どうぞ、、、と買わせてくれたが、そこに居合わせた人達もいっせいに手に取り、瞬時に売れてしまったこともあった。

前後するが、とにかくバス釣りは流行っていたが、ある時、ブラックバスが特定外来生物に指定されそうになったことをニュースで知った。

しかし3000億規模の市場のブラックバスである。

これが特定外来生物に指定されたら、キャッチ&リリースを禁止されてしまう事態になる。

その時、自分は嘆願書を当時の担当管轄省庁に提出されていたことは覚えてないが、確か100万人の嘆願書が出された。

署名100万人である。

自分は知らなかったので、確か署名してないが、知っていたら当然署名していた。

そして確かその某大臣の第三者委員会の見解では、ブラックバスは特定外来生物に指定しない、、、、と結論されていた。

ところがいざ蓋を開けてみれば、そんなことは完全無視で、まさに鶴の一声で、某大臣がブラックバスを特定外来生物に指定してしまった。

一番打撃を受けたのは、滋賀県の琵琶湖で、琵琶湖と言えば、バス釣りのメッカである。

ボートでもオカッパリ(岸釣り)でも出来き、様々なシュチエーションの釣りが出来る、貴重な湖だった。

その頃自分は北陸にいたが、とある年の4月1日から琵琶湖ではキャッチ&リリースが禁止になるため、丁度3月31日が会社が休みだったため、自分ともう1人のバス釣りにはさほど興味がない人を誘って、琵琶湖に前日の夜から行った。

着いたのは結構早く、バスボート(手漕ぎだが)を借りるボート屋が始まる確か朝の5時位に並んで、バスボートを借りて、琵琶湖に繰り出した。

自分のホームグラウンドは北陸であったが、琵琶湖でキャッチ&リリースが出来る最後の日なので、張り切ってボートを繰り出し、色々釣れるポイントを周ったが、あたり一つなく、昼は一旦ボート屋のところに戻して、もう1人の人にマックを頼んで買って来てもらい、ボートを寄せた岸辺でマックを食べて、ゴミはちゃんと捨てて、またボートを繰り出し、ひたすら投げ倒したが、どこへ行ってもあたり一つ無かった。

流石に前日から来ていたため、これだけ何もないと、眠くなり、途中ボートの上で昼寝をした。

『もう無理なんじゃないの』ともう1人の人に言われたが、何せ最後の日である。次の日からキャッチ&キル(釣ったら殺す)しなければならないので、自分はバスを殺すなら釣りをしないと思っていたため、ひたすら投げ倒したが、結局あたり一つなく、琵琶湖での釣りを終えた。

後から分かったのは、やはり最後とあって、前日の土曜日だったと思うが、プロか忘れたが、トーナメントが行われていて、琵琶湖全体がすっかり叩かれていたことだった。

何年か前なら、琵琶湖に行けば必ず何本が釣れたが、さすがに前日にトーナメントが行われていれば、バスはすっかり警戒していて、釣ることは非常に難しくなる。

結局一本も釣れずに琵琶湖を後にした。

その後他の県でもキャッチ&リリース禁止の県が出て来たが、幸い自分の居る県ではキャッチ&リリース禁止条例は無かった。

しかし、この某大臣の鶴の一声でブラックバスが特定外来生物に指定されたことには、怒り心頭だった。

厳密に言うと国がキャッチ&リリースを禁止した法令では無かったが、県の条例として、特に琵琶湖をゆうする滋賀県では条例が施行されていたため、その後琵琶湖に行くことは無かった。

自分のいる北陸で既にハニースポットを見つけていたためであった。


しかしその後ブラックバス釣りをする人が減少していき、ブラックバスブームは徐々に影を潜めて行った。
現在バス釣りをする人は当時と比較してどうなっているかは分からない。


ブラックバスは大正14年に食用として輸入され、繁殖力もあることから、様々な沼や池や湖で繁殖していた。
大正14年から当時2005年頃だろうか、数えてみれば、80年ほど経っていたのである。
自然の待つ力は人間の想像を遥かに超える力を持っている。
そう考えれば、ブラックバスは日本の自然の中にすっかり溶け込み、日本の魚になっているのではないだろうか。
現在で考えれば、101年である。これだけ長い年月をかければ、当時言わば害魚扱いされたブラックバスも日本の魚を脅かすようなことはないと思う。当然主観であるが。


ある時、すっかりバス釣りから遠ざかっていた時、たまたまとある場所の本屋で、ロッド&リールの最終号を見つけた。
そこには、大きな見出して、メガバスが、デザイン界のオスカーと呼ばれるIFデザインアワードでロッドとルアーで、世界中の釣りメーカーで初受賞したことが載っていた。


最終号ということと、このIFデザインアワードとはなんぞや、、、、ということでロッド&リールを購入したが、このIFデザインアワードにエントリーするのは、BMWをはじめ、世界の名だたる様々なメーカーがエントリーする非常に権威のある賞である。
しかも釣りメーカーとしては、世界中でメガバスだけが受賞したのである。

結局現在に至るまで、メガバスは3回受賞しているが、単なるデザインだけでなく、機能や様々要素を満たさないと受賞出来ない賞である。もはや衝撃的な受賞である。


しかし依然としてブラックバスを取り巻く環境はバスだけに限らないとは思うが、厳しいのは確かである。
あの有名な河口湖では以前は特に何も規制はなかったが、現在では釣り人にも問題があるが、湖底に切れた糸やルアーが堆積して、ハードルアーは問題ないが、ソフトルアーに関しては、『ポーク』と呼ばれる、決められたものしか使えない。
なのでメガバスのソフトルアーを使いたくても使えない。


河口湖は観光客で成り立っている町で、ブラックバスを漁業組合が養殖して、年に何回か分からないが放流している、いわばブラックバスをゲームフィッシングとして奨励している。


ここまでやる町が他にあるかは分からないが、いずれにしても2000年までの頃のブラックバスブームはどうなっているのだろうか。


あの某大臣の鶴の一声で決まったブラックバスの特定外来生物指定。


今でも覚えている。


あの出来事はバス釣りを続ける限り、忘れることは出来ない。

秋の思い出 キノコ狩り

今日夏の思い出のブログを書いていて、ふと思い出した。

一足早いが秋のキノコ狩りのことだ。

これは確か一度しか行ってないし、どの山かも覚えてないが、小学生の中学年くらいだっただろうか、家族4人、父と母と姉と自分で、とある山にキノコ狩りに行った。

そこそこの高さの山だったと思うが、車で途中まで行き、そこから徒歩で山に登って行った。

途中非常に細い道もあり、恐る恐る歩きながらキノコが取れる場所へと4人で向かった。

キノコには、確か全く興味はなかったが、恐らく美味しいと言われたのだろう、行くことにした。

山道をゆっくりと歩いていると、こんな細い道を歩けるのか?というほどの細い道が出て来た。

当然、一人一人しか通ることが出来ず、まずは父から歩いて行き、その次が自分だった。

小学生の頃から運動神経は良かったのだが、恐らく山の高さと道の細さに怖かったのだろう、恐る恐る歩いている途中、足を踏み外し、山の下へ頭から落ちてしまった。

その途端、父が道から飛び降りて、丁度秋で落ち葉があったのが幸いして、父にも腕を掴まれて、途中で止まることが出来た。

あの時の記憶、落ちて落ち葉があったことや、父に助けられたことは覚えているが、落ちていく時のことは覚えてはいない。

落ちたのは10m位だったと思うが、その後父に押し上げられ、母に手を引かれて道に戻ることが出来た。

アレが秋で落ち葉が無かったら今の自分は居なかったかも知れない。

その後キノコ狩りの場所につき、予め教わっていた様々な見たこともないキノコを取れるだけ取り、こんな物食べられるのか?と思う物もあったが、その後下山した。

帰りも同じコースを歩いたが、流石に落ちた道で、2度も落ちるのは嫌だったので、片方の手を父に持ってもらい、もう片方の手を母に持ってもらい、何とかやり過ごした。

その後、山を管理している人に確か取ったキノコを選別してもらい、食べられる物だけを持ち帰ることにした。

調理方法は至って簡単だったらしく、美味しさの秘訣はキノコ自体にあった。

家に帰ってから母がキノコ鍋を作ってくれたが、驚くほど美味しかった。

キノコの名前などすっかり忘れてしまったが、様々なキノコから美味しい出汁が出て、それをおかずにご飯を食べた記憶がある。

とにかく、とても複雑な味わいで、美味だったことは覚えている。

ひょんなことから思い出した一足早い秋の思い出。

またキノコ狩りに行ってみたくなった。

夏の思い出白樺高原

自分が小学生の頃、毎年夏になると、父の勤めている会社の所有する別荘が白樺高原付近にあり2泊3日くらいで行っていた。

かなり人気の別荘で、宿泊客はいつも満員であった。

別荘にも温泉を使った風呂があるのだが、別荘の近くに天然温泉があり、もっぱらそちらの温泉に入りに行っていた。

硫黄の匂いがして、結構高めの温度だったが、確か露天風呂になっており、夏でもとても気持ちが良かった。

別荘から車ですぐ近くにプールもあり、そこにも泳ぎに行っていた。

当時は家族6人で、車は5人しか乗れないので、祖父はいつも留守番をしていた。

白樺湖へ行けば、今でも良く見かけるアヒルのボートや遊覧船に乗ったり、今はあるか分からないが、ゴーカートに乗れる場所もあり、ゴーカートはとても楽しく、何度も並んで運転した。

会社所有の別荘ということもあり、かなり格安で泊まれたのだが、一点だけ難点があった。

それは食事。

一応朝と夜は付いていたが、朝は良かったのだが、夕食はハッキリ言って美味しくなかった。

しかし子供でも色々遊べることもあり、料金も格安であることから、毎年の恒例行事になっていた。

別荘の作り自体は洋風の別荘で2階が宿泊用の部屋になっており、1階は食堂になっていた。

時には父の弟(叔父)も来て、叔父はバイクの免許を持っていたため、タンデムで後ろに乗り、緑生い茂る景色を眺めるのも好きだった。

遊園地の思い出はほぼゴーカートしか覚えていないが、他にも色々あった。

恐らく都合6年間の毎年の夏休みの恒例行事だったが、やはり中学生にもなると余り行かなくなって行った。

1番大変だったのは、自分は子供の頃は車酔いが激しく、薬を飲んでも気持ちが悪くなり、それが特に帰りの渋滞に巻き込まれると、途中で車を降りることもしばしばあった。

また別荘に行く時、たまに諏訪南インターで降りて、今でもある『ほうとう』の料理店『小作』に寄って、ほうとうを食べたのだが、自分はその頃肉しか食べれなく、野菜は大の苦手だった。

ほうとうと言えば、様々な野菜が入っているが、何故かこの『ほうとう』の野菜は美味しく食べることが出来た。

『小作』には、ほうとうの他にも、珍しい料理もあり、驚いたのは、スズメの姿焼きがあったことだ。

当時は『え?スズメを食べるの??』という感じだったが、食べると結構美味しかった。

他にもあったと思うが、このほうとうが非常に美味しく、その後の人生でこの『小作』のほうとう以上に美味しいほうとうに出会ったことはなかった。

夏休み中でなくても、ほうとうが食べたくなると、たまにではあるが、父に『ほうとうを食べに行こうよ』と頼むと、『よし、行くか』とほうとうだけ食べに行ったこともある。

そんなこともあり、社会人になってから、会社の仲間と冬ではあったがスキーに行く時に、この別荘を利用したこともあった。

その後、かなり後になってから実家に帰省した際に、父に別荘の話をしたら、全て無くなったことを聞かされた。

毎年夏休みに過ごした別荘。

今でも記憶の片隅に思い出として残っている。

夏の思い出河口湖

以前河口湖でのバスフィッシングのことは書いたが、忘れられない思い出がある。

それはある意味衝撃的な出来事だった。

いつものように朝3時半位に家を出て、中央道を車で1時間半ほどかけて河口湖に到着した。

もうこの頃は釣れる場所は分かっていて、行けば必ず何本かは釣れていた。

まだ頃はメガバスのロッドもルアーもなく、フェンウィックというメーカーのロッドを使っていた。

メガバスのロッドもルアーもこの頃から好きだったが、メガバスのロッドはおろか、ルアーの実物さえ実際に見たことはなかった。

早速ソフトルアーで釣り始めるとしばらくしてすぐ一匹目が釣れた。

30cmに満たないバスだった。

自分の感覚的にはその頃の河口湖のアベレージサイズは30cm。

以前の全く釣れてなかった時のことを考えるとそれで満足していた。

その頃はハードルアーで釣れたことはなく、ソフトルアーで釣るしか無かった。

何匹か釣っている最中に、気付かないうちにバスボートで釣っていた人が自分の釣っているところに寄って来て、『この辺で釣っていいですか?』と声をかけて来たので、『良いですよ』と快諾した。

ところがその人はいきなり自分の釣っているすぐ真横にハードルアーを投げて来て、一瞬で40cmほどのバスを釣り、真横や後ろの自分では釣れるとは全く考えて無かったところへ次々とキャストして来て、これまた全て一瞬で40cmほどのバスを次々に釣っていった。

その間凡そ5分くらい。

自分は次々と釣っていく様を見て、ただ呆然としていた。

その人が使っているルアーを見ると、誰もが知っているメーカーのルアーで、書くとバレるので書かないが、トップ系のハードルアーだった。

たった5分の出来事だ。

たった5分で数匹の40cmほどのバスを手返しよく釣って、『どうも〜、、、』とバスボートで去って行った。

『え?!こんなところにあんなサイズのバスがいたの?!しかもあのサイズをいとも簡単に、こんな短時間で?!』と声にならない声が頭の中を駆け巡った。

あの光景、衝撃は昨日のことのように今でも脳裏に焼きついていた。

そして時が過ぎ、ある時たまたまその時のことを思い出し、たまたま某オークションサイトを見ていたら、『げ!あの時のルアーだ!!!』と見つけた。

オークションである以上、価格は落札しようとする人が多ければ多いほど上がっていく。

既に何人もの人が入札していた。

そしてその日に終了予定になっており、夜になって見てみると、結構な価格になっていた。

入札人数はかなりいたが、あの衝撃を覚えていたため、『これは落札するしかない』と自分も入札することにした。

そこからは入札合戦で、価格はどんどん上がっていき、『ここまで出すか?!』という価格まで上がっていた。

しかし、他のサイトなどを見ても、このルアーはなく、希少性が分かっていたため、入札して最高額を獲得してもすぐまた入札されて、どんどん価格は跳ね上がっていった。

しかし恐らくこの価格までいけば落札出来るであろう価格を入札し、そこからピタリと入札が止まり、時間の経過から見ても今までの入札の動向から見ても、落札出来るとほぼ確信した。

そして時間となり、見事に落札することが出来た。

『しかしこのルアーでこの価格まで行ったか、、、、』と、恐らくバス釣りを知らない人からすれば驚くと思うが、あの衝撃の釣れるルアーである。

メガバスのルアーは今はネットで買えるが、やはり人気の高いルアーは在庫切れか生産終了になり買えない物もある。

今手元にあるハードルアーで唯一のメガバス以外のルアーがこの時落札したルアーだ。

まだ実釣に行けてないが、行けば恐らく間違いなく釣れるだろう。

あの河口湖の衝撃から随分と時が経ったが、河口湖以外でも釣れるルアーだ。

中にはコレクション的に購入したりする人もいるが、自分はコレクション的にメガバスのルアーを購入したこともあったが、ルアーは釣るための道具である。

いつしかコレクション的に集めることはやめて、釣れるためのルアーというスタンスでルアーを購入するようになった。

バスを取り巻く環境は厳しいと以前ブログに書いたが、それは釣り人にも言えることである。

某有名な、バス釣りをする人なら誰もが恐らく知っている人の動画を観ると、バス釣りだけではないが、かなり深刻な状況のようだ。

これは殆ど人災と言える。

一言すれば釣り人のマナーである。

自分からすれば考えられないが、自分の狙った魚以外が釣れた場合に、水に戻さず、陸に置き去りにして、殺してしまう人が後を絶たないようだ。

同じ釣り人として、これは許してはならない行為だ。

また、切れた糸をその場に捨ててしまったりする輩も後を絶たないようだ。

こうなると、地元の人で釣りに興味のない人が見た場合、どんな感情を抱くか想像に難くない。

地元の人ではない自分でも、切れた糸はポケットにしまって家に持ち帰るし、ゴミを捨てることもしないし、ましてや狙った魚ではないからと、陸に置き去りにするなど、一度もしたことはない。

ただ水に戻す。

何故こんな当たり前で簡単なことが出来ないのか。

正直、怒り心頭であるし、『お前が魚の身になってみろ』と言いたくなる。

もちろん釣りをしない人からすると、釣ること自体魚が可哀想だ、、、という人がいても何ら不思議ではないし、そういう感情を持つのも当然である。

しかし釣りという行為自体、相当昔から行われているし、例を挙げればマグロの1本釣りや、そもそも魚を漁として行っているので、魚を我々が食べることが出来る。

バスフィッシングの場合はキャッチ&リリースだが、その是非に関しては、ある一側面からすれば、キャッチ&イートと変わらないと思う。

それに自分の場合は夏限定で、バスが産卵し始める春にはやらない。

これはバスが産卵行動に入った場合に、やり方にもよるのだろうが、そこでバス釣りをすると、産卵をやめてしまうバスがいるからだ。

つまりは自分には産卵するバスに悪影響を与えたくないという思いがあるのと、春のバスの釣り方を知らないこと(まぁやり方はネットで調べれば幾らでも出て来るが)が挙げられるが、やはり産卵するバスに悪影響を与えなくない思いが強いからだ。

別にカッコをつけているのではなく、本当にその思いが強いが故に興味が沸かない。

もうすっかり夏のバス釣りのシーズンは到来しているが、今のところ行く予定はない。

今は諸般の事情で行くことはない。

あの河口湖の衝撃。

このルアーを使って是非釣ってみたい。

パリオリンピック バトミントン女子ダブルス 3位決定戦

今日、パリオリンピックで初めて自分の趣味でもある、バトミントンの試合を観た。

パリオリンピックのアプリを入れていたが、すっかり他人事になっていて、たまたま今日アプリのアップデートがあり、試合日程など観れるため、調べていた。

すると日本時間の22時から女子ダブルスの3位決定戦があるとことが分かった。

『う〜ん、、、ダブルスで女子か、、、』

女子だから、、、という訳ではなく、そもそもダブルスはめちゃめちゃ興味がある訳ではないことと、自分はシングルスの試合の方が好きなので、それもあって観るかどうか迷っていた。

後はこれは体格の差でどうしようもないが、男子のバトミントンの試合は迫力もあり、自分の経験にもマッチしているからだ。

自分はバトミントン部に所属していた頃は、基本的にはシングルスだったが、場合によってはダブルスも出来たので、掛け持ちしていた。

当時は地獄の練習があり、入部当初は30名ほどいた男子バトミントン部員が、2ヶ月もしないうちに7人程になっていた。

今の中学生や高校生のバトミントンの練習のハードさは分からないが、どうやら『受験に有利だから』、、、という生徒もいるらしい。

自分達の頃は、ただひたすら強くなりたい、、、スポーツとして純粋に強くなりたい、、、、そういう想いでやっていた。

本当に濃密でハードな練習だった。

室内競技の中で一番ハードな競技が、このバトミントンである。

今日3位に輝いた、志田千陽&松山奈未ペアは昨日の決勝で敗れており、金メダルを狙っていたこともあり、メンタル面で如何に切り替えるか?

それが大事だと元日本代表小椋選手が解説で話していた。

これは経験者でなくても分ると思うが、日本の中で代表を勝ち取り、そしてオリンピックへ出場することになり、後一歩のところで金メダルを逃して、オリンピックの大舞台で世界一を逃した次の日に、今日の3位決定戦があった訳で、気持ちの切り替えをおいそれとは簡単に出来ないものだ。

しかし、『シダマツ』ペアは第一ゲームから先勢していき、バトミントンのシングルスでもダブルスでも先に取りたいインターバルとなる11点を取り、その後も危なげない試合運びで第一ゲームを取った。

観ているうちに、やはり燃えてきて、『シダマツ』ペア最後の試合となる試合を観ながらつぶやいていた。

『ヨッシャー』とまではいかないが、『よし』、『お、いいんじゃん』みたいな感じだ。

相手のマレーシアの選手は知らなかったが、世界12位のペアで、『シダマツ』ペアは世界4位だが、油断のならない相手だと解説されていた。

そして第二ゲームも、相手に流れが変わりそうなところで、更に失点することなく、一時追いつかれそうになりそうながらも、第二ゲームも日本が先に11点を取り、結局最後は松山選手のプッシュで銅メダルに輝いた。

オリンピックの大舞台で昨日の決勝の負けから翌日の試合だ。

試合後解説の元日本代表の小椋選手も泣いて言葉を詰まらせていたようである。

こういう元日本代表選手などは、テレビなどの取材だけでは無いだろうが、選手達に密着することも多々ある。

それに世界を経験した人間でもある。

『この銅メダルは重い』、、、と言っていた。

自分は一点だけご本人に聞きたいことがあった。

それは、第二ゲームの松山選手が後衛から放ったショットが、ネットの上から下ではなく、左から右へカーブしてインしたプレーがあった(野球で言うとシュートになるが)。

これは試合会場の空調のせいだが、小椋氏は何も言って無かったと思うが、男性解説者が、『風も計算に入れて』と決めうちで話していたが、空調のせいで飛び過ぎるとか、戻ってしまうのは計算出来そうだが、カーブは、要は横に吹く風がそのタイミングで吹かないと出来ない。

そこまで狙うことなど出来るのか?

自分には分からなかった。

アレを狙ってやっていたら、今日一番のスーパープレーだろう。

しかし、喜んで泣いている2人をみて、静かに拍手を送っていた。

まだあるパリオリンピック。

5日にも男子シングルスのバトミントンの試合が午後9時から11時半くらいまである。

恐らく男子バトミントンシングルスの3位決定戦と決勝戦があるからだ。

バトミントンは下手をすると第三ゲームまで、しかも僅差で続くと、一試合で1時間半くらいになる。

コートの前後左右、緩急、、、、素早くポジショニングして、打ったら基本はホームポジションに戻るが、もうお互い良く知っている相手同士になると駆け引きもあり、癖など知られているため、なかなか終わらずラリーが続き、それだけ長時間かかる。

長時間、集中力と体力を維持して戦い続けることもあり、バトミントンが室内競技で一番ハードと言われる所以がある。

ともかく『シダマツ』ペアにおめでとうございます!と『ご苦労様でした』と伝えるつもりで今回のブログもここで終わろうと思う。

がんばれ!にっぽん!

※訂正

男子バトミントンシングルスの試合日程が、オリンピックアプリで見た日程でブログに書いたが、自分のミス?で実際には8月5日の朝から放送されていたようだ。しかしテレビの番組表では事前の録画予約で確かにバトミントン男子シングルス3位決定戦、決勝戦とあり録画予約したが、結局は違っていた。しかも不可解なのは、録画を観ようとして観てみると、番組表では図柄でバトミントンの図柄が出ているのだが、内容は違う内容になっていた。その後も男子バトミントンシングルスの試合をリアルタイムではなく、せめて録画はないか?探したが、結局見つかることはなく、男子バトミントンシングルスの試合は観損ねた。いずれは某ネットに載るのを待つしかない。

自分軸

自分軸

その名の通り自分の軸を確立し、更に言えば、それを貫き通すことである

様々な角度から論じることも出来るが、これを確立して貫き通すことは、ある意味至難の業である

そしてこれは、分からない人には分からないし、分かっていても出来ない場合もある

また、自分軸からズレていることに気付かない場合もある

気付かない場合は気付かせてくれる第三者が必要になってくる

叱咤される場合もあるが、激励される場合もある

しかし一番やっかいなのは、気付かない間にズレていき、それに気付かず、第三者的な立場の人からも教えてもらえず、結局ズレたままになり、修正するのは時既に遅し、、、となることだ

人はそれぞれ様々な人間関係、友人や家族など、人と関わる中で、ともすると自分軸を見失うことがある

自分軸を持ち、それを貫き通すことは想像以上に困難である

しかし自分軸を貫くことは非常に重要だ

よもや忘れまじ、我自分軸

それを心に刻み生きていきたいものだ

Googleマップの口コミの衝撃Part3

Googleからまたメール来ていた。

以前書いた病院の口コミのことだった。

約1か月前にGoogleから来た口コミの件数は3000件を超えた、、、となっており、自分で気になって見にいくと5000件近くなっていたが、あれから約1か月経ったが、今回の閲覧件数は8000件だとメールに書いており、実際に自分で見にいくと、9793件になっていて、またまたびっくりした。

そんなに長い文章ではないし、自分としては、そんなに大した文章ではないと思っているので、驚きの閲覧件数だ。

やはり人のに役立つ、経験者の書いた文章は説得力が違うのだろうか。

ただやはり自分のブログを書くスタンスはあくまで軽い気持ちで、気の向くままに書くので、人のために役立つ情報は、やはり気の向くままに書きたいなら書く、、、という感じだ。

今回も、一言すれば、びっくりした!

、、、、だったので、書いた。