Googleマップの口コミの衝撃Part 4

Googleマップの口コミ。

もうこれについて書くのは4度目だが、またまたGoogleマップからメールが来て、以前書いた病院の口コミが遂に20000閲覧を超えたという。

🙏のマークとすぐ横には❤️のマークがついていた。

当然閲覧した方からのリアクションだが、ちょっと調べてみると、❤️のマークは『いいね』、🙏のマークは参考になった、、、という意味のようだ。(どうやらiPhoneに出て来るマークで、Androidは未検証とあった)。

先日このブログの投稿数も200を越えたが、以前も書いた通り書きたい時にしか書かないし、人に役立つ情報を書くとかテーマは決めてないので、サブタイトルの通り気の向くままに書いている。

しかし20000閲覧とは半年前に書いたものの閲覧数だ。

ブログに関しては特段閲覧数には拘ってないが、Googleマップの閲覧数には驚かされる。

それだけ見ている人も多いのだろう。

とにかくブログのスタンスは軽い気持ちで気の向くままに書くことなので、これからもそうしていきたい。

グラハム・ボネット

最近どうしても気になってしまうアーティストがいる。

それは、以前、斎藤綿店さんのブログにも登場した、ハードロックバンドのレインボーやアルカトラズに居た、『グラハム・ボネット』だ。

色々観たり聴いているが、気になってしまい、最近頻繁にYouTubeで当時のグラハム・ボネットの歌を聴いて、観ている。

恐らく、グラハム・ボネットを知らない人に、この頃の、しかもサングラスをしていないグラハム・ボネットと会わせたら、まさかハードロックバンドのボーカルだとは思わないと思う。

そもそも自分が観ているのは、来日した1984年のアルカトラズのボーカル、グラハム・ボネットだが、以前にも書いたが、サーモンピンクのスーツと白のワイシャツに黒のネクタイという、およそハードロックでは見ることはないであろう服装で、途中から白のTシャツ一枚とサーモンピンクのスーツのパンツで歌っている。

そして、サングラスを取った顔は、歌っている時はあまり分からないが、髪はオールバックで、目が大きくて、少し可愛いクリっとした目をしている。

映画で言えば、ジェームス・ディーンに似ている。

要はカッコいい。

それがかなりかすれた独特の声で、歌っていて、目にも耳にも良い。

レインボー時代からグラハム・ボネットは好きだったが、斎藤綿店さんのブログのお陰で、気になるようになり、良く良く観たりしている間に、頻繁に観て聴くようになった。

レインボーでいうと、ギターのリッチー・ブラックモア以外のメンバーはコロコロ変わっているが、ボーカルに関しては、初代のロニー・ジェームス・ディオ、グラハム・ボネット、ジョー・リン・ターナー、ドゥギー・ホワイトの4名いるが、たまたま少し調べたら、ロニー・ジェームス・ディオは他界したため来日して無かったが、2013年にロニー以外の3人が中野サンプラザでライブをしたようだ。

リッチー・ブラック・モアはもうハードロックはやらないので、3人でしかもやったのは日本だけだったらしい。

横道にそれたが、とにかくこのグラハム・ボネット。

ハードロックにも色々あるし、声の好みもあるが、ハードロックに興味がある方も、好奇心の旺盛な方も、YouTubeで『グラハム・ボネット アルカトラズ』と検索すれば、サーモンピンクのスーツを着たグラハム・ボネットに会える。

ハード・ロックのイメージが変わるかも知れない。

5年目を迎えて

このブログも気付けば5年目を迎えた。

時が経つのが本当に早く、投稿数は、もう数えてないが、結構な数の投稿数になった。

とにかく書きたい時、何か考えたり、感じたり、気が付いた時に書いているが、書きたく無ければ書かないスタンスには変わらない。

なので、書くことがあっても書かなかったことも多々ある。

これからも、自分のスタンスは大切にして、ブログの名前の通り、気軽に書いていこうと思う。

本当にあっという間の5年であったが、やめようと思わない限り続けていくだろう。

購読して下さっている皆さんに感謝しつつ、、、、。

令和6年9月5日

ブラックバスの特定外来生物指定

現在のブラックバスを取り巻く環境は厳しい。

バス釣りをする人なら恐らく誰でも知っているが、ブラックバスを釣り上げた場合には、相当昔、主に滋賀県の琵琶湖が有名だが、リリースすることが出来なくなってしまった。

これは元を辿るとその昔、某政党の某大臣が、ブラックバスを特定外来生物に指定したことに端を発する。

当時の記憶なので、正確ではないが、当時ブラックバスの市場規模は3000億円と言われていた。

恐らくそれには、道具を買ったり、遊魚料(その湖や川などによる)、バス釣りに行ってそこで食事をしたり、、、なども含まれている可能性はあるが、当時は相当ブラックバス釣りが流行っていて、自分は流行っているからバス釣りを始めた訳ではないが、ブラックバスの専門の本も結構出ていた。

その頃自分が毎月必ず買っていたのは、ロッド&リールという本で、ずっと書い続けていた。

新しく発売するルアーの情報など載っている場合もあり、当時はネットでルアーなどを買える訳では無かったので、ロッド(竿)は、某ショップに予約していたものだった。

自分は以前ブログに書いた通り、メガバスのルアーやロッドしか殆ど買わなかったため、特にロッドは凄まじい人気で、その某ショップでは、予約をするのに数ヶ月待って、それから予約が出来て、実際ロッドを買うまでに、更に数ヶ月待つのが当たり前であった。

初めて購入したロッドはメガバスのF6-67Xで、それも他のロッドが予約出来なかったため、とにかく予約出来るロッドということで、このロッドを予約した。

なので実際に自分が購入出来たのは、予約待ち含めて半年以上かかって購入出来たのだった。

自分はメガバスが好きでリスペクトしているため、他のメーカーのロッドは分からないが、とにかくメガバスの人気は凄かった。

その後何年かかけてメガバスのロッドを10本ほど購入するに至ったが、とにかく入手するのは大変だった。

メガバスのルアーは予約制ではなく、そのショップに行ってあれば購入出来る感じだった。

ある時、自分がわざわざ北陸からそのショップに、出張がてら行った時、『まぁ、久しぶりですね、せっかくわざわざ来てくれたので』と、何とその時初めて実物を見た、POP-Xのマットタイガーという超レアな色のレアなルアーを奥から箱ごと出してくれて、どうぞ、、、と買わせてくれたが、そこに居合わせた人達もいっせいに手に取り、瞬時に売れてしまったこともあった。

前後するが、とにかくバス釣りは流行っていたが、ある時、ブラックバスが特定外来生物に指定されそうになったことをニュースで知った。

しかし3000億規模の市場のブラックバスである。

これが特定外来生物に指定されたら、キャッチ&リリースを禁止されてしまう事態になる。

その時、自分は嘆願書を当時の担当管轄省庁に提出されていたことは覚えてないが、確か100万人の嘆願書が出された。

署名100万人である。

自分は知らなかったので、確か署名してないが、知っていたら当然署名していた。

そして確かその某大臣の第三者委員会の見解では、ブラックバスは特定外来生物に指定しない、、、、と結論されていた。

ところがいざ蓋を開けてみれば、そんなことは完全無視で、まさに鶴の一声で、某大臣がブラックバスを特定外来生物に指定してしまった。

一番打撃を受けたのは、滋賀県の琵琶湖で、琵琶湖と言えば、バス釣りのメッカである。

ボートでもオカッパリ(岸釣り)でも出来き、様々なシュチエーションの釣りが出来る、貴重な湖だった。

その頃自分は北陸にいたが、とある年の4月1日から琵琶湖ではキャッチ&リリースが禁止になるため、丁度3月31日が会社が休みだったため、自分ともう1人のバス釣りにはさほど興味がない人を誘って、琵琶湖に前日の夜から行った。

着いたのは結構早く、バスボート(手漕ぎだが)を借りるボート屋が始まる確か朝の5時位に並んで、バスボートを借りて、琵琶湖に繰り出した。

自分のホームグラウンドは北陸であったが、琵琶湖でキャッチ&リリースが出来る最後の日なので、張り切ってボートを繰り出し、色々釣れるポイントを周ったが、あたり一つなく、昼は一旦ボート屋のところに戻して、もう1人の人にマックを頼んで買って来てもらい、ボートを寄せた岸辺でマックを食べて、ゴミはちゃんと捨てて、またボートを繰り出し、ひたすら投げ倒したが、どこへ行ってもあたり一つ無かった。

流石に前日から来ていたため、これだけ何もないと、眠くなり、途中ボートの上で昼寝をした。

『もう無理なんじゃないの』ともう1人の人に言われたが、何せ最後の日である。次の日からキャッチ&キル(釣ったら殺す)しなければならないので、自分はバスを殺すなら釣りをしないと思っていたため、ひたすら投げ倒したが、結局あたり一つなく、琵琶湖での釣りを終えた。

後から分かったのは、やはり最後とあって、前日の土曜日だったと思うが、プロか忘れたが、トーナメントが行われていて、琵琶湖全体がすっかり叩かれていたことだった。

何年か前なら、琵琶湖に行けば必ず何本が釣れたが、さすがに前日にトーナメントが行われていれば、バスはすっかり警戒していて、釣ることは非常に難しくなる。

結局一本も釣れずに琵琶湖を後にした。

その後他の県でもキャッチ&リリース禁止の県が出て来たが、幸い自分の居る県ではキャッチ&リリース禁止条例は無かった。

しかし、この某大臣の鶴の一声でブラックバスが特定外来生物に指定されたことには、怒り心頭だった。

厳密に言うと国がキャッチ&リリースを禁止した法令では無かったが、県の条例として、特に琵琶湖をゆうする滋賀県では条例が施行されていたため、その後琵琶湖に行くことは無かった。

自分のいる北陸で既にハニースポットを見つけていたためであった。


しかしその後ブラックバス釣りをする人が減少していき、ブラックバスブームは徐々に影を潜めて行った。
現在バス釣りをする人は当時と比較してどうなっているかは分からない。


ブラックバスは大正14年に食用として輸入され、繁殖力もあることから、様々な沼や池や湖で繁殖していた。
大正14年から当時2005年頃だろうか、数えてみれば、80年ほど経っていたのである。
自然の待つ力は人間の想像を遥かに超える力を持っている。
そう考えれば、ブラックバスは日本の自然の中にすっかり溶け込み、日本の魚になっているのではないだろうか。
現在で考えれば、101年である。これだけ長い年月をかければ、当時言わば害魚扱いされたブラックバスも日本の魚を脅かすようなことはないと思う。当然主観であるが。


ある時、すっかりバス釣りから遠ざかっていた時、たまたまとある場所の本屋で、ロッド&リールの最終号を見つけた。
そこには、大きな見出して、メガバスが、デザイン界のオスカーと呼ばれるIFデザインアワードでロッドとルアーで、世界中の釣りメーカーで初受賞したことが載っていた。


最終号ということと、このIFデザインアワードとはなんぞや、、、、ということでロッド&リールを購入したが、このIFデザインアワードにエントリーするのは、BMWをはじめ、世界の名だたる様々なメーカーがエントリーする非常に権威のある賞である。
しかも釣りメーカーとしては、世界中でメガバスだけが受賞したのである。

結局現在に至るまで、メガバスは3回受賞しているが、単なるデザインだけでなく、機能や様々要素を満たさないと受賞出来ない賞である。もはや衝撃的な受賞である。


しかし依然としてブラックバスを取り巻く環境はバスだけに限らないとは思うが、厳しいのは確かである。
あの有名な河口湖では以前は特に何も規制はなかったが、現在では釣り人にも問題があるが、湖底に切れた糸やルアーが堆積して、ハードルアーは問題ないが、ソフトルアーに関しては、『ポーク』と呼ばれる、決められたものしか使えない。
なのでメガバスのソフトルアーを使いたくても使えない。


河口湖は観光客で成り立っている町で、ブラックバスを漁業組合が養殖して、年に何回か分からないが放流している、いわばブラックバスをゲームフィッシングとして奨励している。


ここまでやる町が他にあるかは分からないが、いずれにしても2000年までの頃のブラックバスブームはどうなっているのだろうか。


あの某大臣の鶴の一声で決まったブラックバスの特定外来生物指定。


今でも覚えている。


あの出来事はバス釣りを続ける限り、忘れることは出来ない。

秋の思い出 キノコ狩り

今日夏の思い出のブログを書いていて、ふと思い出した。

一足早いが秋のキノコ狩りのことだ。

これは確か一度しか行ってないし、どの山かも覚えてないが、小学生の中学年くらいだっただろうか、家族4人、父と母と姉と自分で、とある山にキノコ狩りに行った。

そこそこの高さの山だったと思うが、車で途中まで行き、そこから徒歩で山に登って行った。

途中非常に細い道もあり、恐る恐る歩きながらキノコが取れる場所へと4人で向かった。

キノコには、確か全く興味はなかったが、恐らく美味しいと言われたのだろう、行くことにした。

山道をゆっくりと歩いていると、こんな細い道を歩けるのか?というほどの細い道が出て来た。

当然、一人一人しか通ることが出来ず、まずは父から歩いて行き、その次が自分だった。

小学生の頃から運動神経は良かったのだが、恐らく山の高さと道の細さに怖かったのだろう、恐る恐る歩いている途中、足を踏み外し、山の下へ頭から落ちてしまった。

その途端、父が道から飛び降りて、丁度秋で落ち葉があったのが幸いして、父にも腕を掴まれて、途中で止まることが出来た。

あの時の記憶、落ちて落ち葉があったことや、父に助けられたことは覚えているが、落ちていく時のことは覚えてはいない。

落ちたのは10m位だったと思うが、その後父に押し上げられ、母に手を引かれて道に戻ることが出来た。

アレが秋で落ち葉が無かったら今の自分は居なかったかも知れない。

その後キノコ狩りの場所につき、予め教わっていた様々な見たこともないキノコを取れるだけ取り、こんな物食べられるのか?と思う物もあったが、その後下山した。

帰りも同じコースを歩いたが、流石に落ちた道で、2度も落ちるのは嫌だったので、片方の手を父に持ってもらい、もう片方の手を母に持ってもらい、何とかやり過ごした。

その後、山を管理している人に確か取ったキノコを選別してもらい、食べられる物だけを持ち帰ることにした。

調理方法は至って簡単だったらしく、美味しさの秘訣はキノコ自体にあった。

家に帰ってから母がキノコ鍋を作ってくれたが、驚くほど美味しかった。

キノコの名前などすっかり忘れてしまったが、様々なキノコから美味しい出汁が出て、それをおかずにご飯を食べた記憶がある。

とにかく、とても複雑な味わいで、美味だったことは覚えている。

ひょんなことから思い出した一足早い秋の思い出。

またキノコ狩りに行ってみたくなった。