スコットランド幻想曲

最近、iOSを14.8にアップした。

そして、Apple Storeの画面の中に『iOS15で楽しむ』というようなことが書いてあった。

メジャーバージョンアップになるので、気になっていた。

そして何となくiPoneを触っていて、設定の所をたまたまみたら、下の方にiOS15と書いてある。

『あれ?アップデート出来るのか?!』と思い、実際にやってみると、やはりiOS15にアップデート出来るようで、特別?機能がアップした感じは無いと思ったが、やはりメジャーバージョンアップなのでアップした。

地図が3Dで表示されたり、色々と変わった点もあったが、少し触ってやめよう思ったが、『もしかして音が良くなっている?』かと思い、試しに最近夜寝る前に少しだけ聴く、ホルストの『木星』のあの静かなゆっくりとした旋律を聴いてみた。

ワイヤレスイヤホンの性能もあるが、何となくよくなつている感じもある。

しかしはっきりは分からない。

そうしているうちに、突如、『あ!あのバイオリニストの曲を聴こう』と思い立ち、Apple MUSICで探しても、Amazon MUSICでも出てこない。

何を隠そう、実は家にそのCDがあるのだが、現在行方不明。

曲は確かスペインかイタリアという名前がついていた気がしたので、それで探しても出て来ない。

なのでGoogleで、情熱的な女性バイオリニストと検索すると、『あ!アン アキコ マイヤースだ!と名前が出て来て即座に思い出した。

そしてApple MUSICもAmazon MUSICを探しても出て来ない。

仕方がないので、YouTubeで検索すると、アン アキコ マイヤースの曲が出て来て、CDのジャケット写真は覚えていたので、探すと出て来た。

『やった!』と思い、聴こうとすると、プレミアム会員でないと聴けない。

致し方ないので、とりあえず無料体験で、プレミアムにして聴いた。

そしてそこでようやく題名が分かった。

『 あ!スコットランド幻想曲だ!』

スペインでもイタリアでもなかったが、題名を見てすぐ思い出した。

オーケストラの曲は聴くが、最近バイオリニストに絞って聴いたことは無かった。

しかしこれには、中々苦労した話がある。

これはかなり前にコマーシャルで使われていて、1発で感動し、曲名が分からないので、どうしようかと思っていたが、やはりどうしてもCDが欲しいので、当時営業をていた時、営業中にいきなりそのコマーシャルのメーカーに直接電話して、確か広報担当者であろうか、TVで流れている曲のタイトルやアーティスト名を聞いて、そしてCD購入に至った経緯があった。

担当者は電話の向こうで戸惑い気味であった。

そんなこともあり、iOSをアップするつもりがいつのまにか、アン アキコ マイヤースのスコットランド幻想曲に辿り着き聴いてみた。

やはり情熱的というのか、表現出来ない音色を奏でる。

前半のコマーシャルで使われていた部分は悲しげな感じなのだが、やはり感動的というのか、それでは言葉が足りない、何と言って良いか分からない素晴らしさがある。

ちなみに彼女は史上最も高額で取引されたバイオリンを終身貸与されているそうだ。

結構疲れていて、感受性が鈍っていたので、また聴こうと思う。

とにかく自分にとっては素晴らしいバイオリニストで、曲も素晴らしいと感じる曲である。

家にはBluetooth接続で使えるスピーカーがあるので、ちゃんとした環境を整えて聴こうと思った。

あの感動をもう一度感じてみたい。

真冬のカップラーメン

それは小学生の頃の話し。

真冬の多摩川で、鯉を釣ろうと友達と釣りに出かけた。

多摩川に着いて、早速仕掛けを作り、遠投して鯉を狙った。

何せ真冬の多摩川。

寒いなんてものではない、極寒だ。

その上風が強く吹いている。

あっという間に手はかじかみ、体中震えて、寒さに耐えながら釣りを続けた。

しかし一向に鯉どころか魚1匹釣れない。

やがて寒くてどうしようもなくなった時、何とか温まる方法はないかと、みんなでポケットを探るも、お金がない。

しかし、1人だけ何とかカップラーメンを1つ買えるだけのお金を持っていた。

しかも釣りに行っていたのは4人。

急いで近くにある店で買ったカップラーメンにお湯を注いで、3分待ち、1人一口つづ分け合って食べた。

その時の旨さときたら、この世のものとは思えない旨さだった。

『カップラーメンってこんなに旨かったっけ?』

心でそう呟きながら、汁を一滴も残さずに、4人で分けて食べた。

あの『この世のものとは思えない旨さ』

世の中美味しいものは沢山ある。

しかしあの時食べたカップラーメンの旨さに勝てるものはないかも知れない。

結局1匹も釣れず、寒さに耐えきれず、釣りは諦めて、土手で段ボールを拾って、ソリ遊びをして、帰りの途に着いた。

小学生時代の懐かしき思い出だ。

ドラムの神様

自分の中で最も印象深く、こんなドラムを叩いてみたいと思うドラマーがいる。

それは村上ポン太秀一。

動画サイトでも叩いてる姿を観れるが、あの脱力して叩くドラムにずっと憧れていた。

昔の映像では余り脱力、つまり力を抜いて叩いてる印象はないが、とある映像を観ていると、本当に力が抜けていて、両手がムチのようにしなやかにドラムを叩いている。

あんなに力を抜いてドラムを叩けるなんて信じられない感じだ。

以前、ギタリストの渡辺香津美と一緒に某番組でユニコーンというインストゥルメンタルの曲をやっていたが、余りのカッコいいドラムにシビれた。

この曲は非常スピーディーで、かなり難易度は高い、、、、というより、ちょっと桁外れな感じがするが、とにかくカッコ良くていい曲だ。

あの力の抜けた叩き方を、どうすれば出来るのか聞きたいほどだった。

自分の最も尊敬するドラマーで、はっきり言ってドラムの神様と言っても過言ではない。

彼は様々なアーティストと共演していて、それこそ昭和の時代から平成の時代まで、様々なジャンルの曲を、様々なアーティストと共演していたようだ。

セッションドラマーとしても活躍し、レコーディングした曲は1万4,000曲を超えるらしい。

自分は、最近は余り動画サイトで観ることは無くなって来ているが、とにかく日本を代表するドラマーであると思う。

以前彼はドラムを叩く時こんなことを言っていた。

「勝手にスティックが跳ね返ってくる」


これは叩いているというより、跳ね返っているという感じで、叩く必要がないというか、自然に叩いている感じというか、この感じはドラムをやる人でないと通じないかも知れない。

彼のドラムを観ていると、『く〜…気持ちいいだろうな…』と、観ているだけで気持ち良さが伝わってくる。

色々なドラマーの叩く姿を動画やテレビで観て来たが、彼ほど気持ちよく叩いてると感じるドラマーは他にはいない。

自分もドラムを趣味としてやっているが、彼のドラムの叩き方が、自分の中のある意味での最終形態だと思う。

永遠のドラムの神様、村上ポン太秀一。

これからも彼のあの力の抜けたドラムを目指していければ幸いである。

ドラムの神様よ、永遠なれ。

Ninja

忍者は音もなく忍びより、目的を達成する

それがどんなことであろうと、誰も気付かないうちに達成する

そして誰にも褒められることもなく、その存在すら気付かれることなく、目的を成就する。

忍者はそれを指示する者が存在するが、誰から指示されることもなく、支持されることもく、誰にも気付かれず、誰に褒められることもなく、時には誤解され、時には非難されても、正義のために影で動く者がいる。

誰のためでもない、自らの信じる道を、何があろうとなかろうと、自らの意思と心で遂行していく。

その行動はいつの日か必ず理解される時が来るだろう。

それは現実となって自然と証明される時が
必ず来る。

それまでは、そしてこれからも、自ら信じる道を進んでいくだろう。

真実という本当の意味での現実に向かって…。


もう太陽は赫赫とあがっている。

まだ誰の目にも見えないかも知れない。

しかし心の中の太陽は既に赫赫とあがっているのだ。

あともう少し…

鈴木瑛美子のお父さんとお母さん

以前、鈴木瑛美子とお父さんの関係性をブログに書いた。


端的言えば、鈴木瑛美子が表現した全ての感情を受け止めてもらって、それを全て返して(表現して)もらったのが、鈴木瑛美子のあの表現力の淵源になっているのではないかというものだ。


鈴木瑛美子が表現する、ネガティブ(悲しいとか、寂しいとか)だろうとポジティブ(嬉しいとか、喜んでいるとか)だろうと、全て受け止めてくれて、それをそのまま鈴木瑛美子に、『悲しいんだね』とか『嬉しいんだね』とそのまま表現してくれていたのではないかということだ。

しかし、あの時はモーツァルトを観ていて気付いたことで、更にお父さんにあえてフォーカスして書いていた。
なので、鈴木瑛美子のお母さんにはあえて触れていなかった。


番組ではお父さんが代表して話している感じだし、お母さんはどちらかというと、あの時は、その意味では映っていない。


なので、お父さんにあえて特化して書いたが、実はお母さんの存在も大きいと思っていた。

色々記事を読んでもお母さんのことはあまり見当たらないが、やはり母親の存在というのは小さな子供にとっては非常に重要だと思う。


お母さんの表現力は殆ど見たことはないが、存在そのものが大きいのかも知れない。
或いはお母さんの表現力もすごいのかも知れない。
鈴木瑛美子のお母さんの書く絵は素晴らしいことからも推察される。

その意味では、ご両親揃って、男性と女性の違いはあるかも知れないが、鈴木瑛美子の全ての表現した感情を、そのまま受け止めて、返して(表現して)くれていたのかも知れない。


いずれにしても、表現力だけでなく、子供の淵源は父母にあるので、鈴木瑛美子は素晴らしいご両親のもとで生まれ育ったのだと、そう考えている

シャブスキー

自分は余り漫画を読まないが、その中でも好きな漫画で『美味しんぼ』がある。


正月と言えば、それぞれの家庭ごとに色々あるが、今年はすき焼きをすることにした。


お節もお雑煮も食べるが、今回のメインはすき焼きだ。


家庭によって作り方は様々だが、今回は帰省出来ないこともあり、自宅ですき焼きとなった。

煮るためのつゆは、既製品を使用。
しかし、実は自分はしょっぱい食べ物に砂糖が入っているのが苦手だ。

なので、みたらし団子は好きではない。

今回既製品すき焼き用の煮るためのつゆは、やはり砂糖が入っている。

食べているうちに、ふと、『これはシャブスキーで食べた方が美味いのでは?』と浮かび、肉を残してやめて持ち越すことにした。

そして後日、ネットでシャブスキーのレシピや『美味しんぼ』の書いてある部分を参考にしながら、人生初のシャブスキーをしてみた。

煮るためのつゆは、醤油、鰹出汁で、タレが変わっている。

それは、『梅』を使う。

すき焼きのつけダレと言えば卵だが、シャブスキーの場合は、梅を酒で煮詰めた物を使う。

すき焼きのタレに梅?

自分もそう思うが、『美味しんぼ』では、あの口うるさい海原雄山を唸らせる。

本来なら、タレを作るのには時間がかかるが、今回は時間はかけてられないので(腹が減ってるので)、即興で煮るつゆや梅ダレを作って食した。

食べた瞬間『う〜〜ん…美味すぎる』と、余りの美味さに驚いた。

さすが海原雄山を唸らせただけのことはある…などと思ったかどうかはさておき、非常に美味で、肉のくどさも無くなり、次からは、シャブスキーにしようと決意した。

実はこの漫画『美味しんぼ』。

1巻から40数巻まで購入していたが、引っ越しと共に実家に置いていき、いつしか処分されていた。

漫画『美味しんぼ』。

漫画とはいえ、非常に役立つ情報などが満載で、『美味しんぼ』を基に、焼き鳥やステーキなど、その他色々な店に行ったり、自分で試したりするのに非常に役立った。

それにしてもシャブスキー。

即興でも、あまりにも美味すぎた。

書いている今でもヨダレが出そうである。

歌詞スルーのクセ

自分は音楽が好きだが、楽器の演奏は以前吹奏楽部でパーカッションをやっていたこともあり、ドラムを叩くのが好きで、今でも好きだ。

厳密に言えばそれ以前からドラムに興味があり、クラスメイトから、確かドラムが叩けるからと誘われて吹奏楽部に入部した。

中学時代、初めて洋楽(主にハードロック)を聴くようになり、そこから洋楽をメインに聴くようになった。
ハードロックのドラムでカッコいい感じのドラムは沢山あった。


洋楽に関しては、たまたま家にあったのを聴き始めてから好きになっていった。

元ディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラック・モアのRainbow 、Queen…そのあたりを聴いていた。

その後アルカトラズ、イングヴェイ・マルムスティーン、TOTO、Rush…テレビや知人などから情報を仕入れて聴いていった。

その当時、ギターの速弾きのイングヴェイ・マルムスティーンを聴いている友達が殆どおらず、実際に曲を聴かせても『なんかいじってるんじゃないの?』…というように、本当に弾いているとは信じてもらえなかった記憶がある。

他にもビリー・ジョエルやマイケル・ジャクソンもなども聴いていた。

あまり知っている人に出会う機会も話す機会もないが、プラネットPプロジェクトのWhy Me?やあまり自分の周りでは聴かない曲も結構聴いていた。


話は遡るが、自分が初めて音楽として聴き始めたのは、クラシック音楽だった。

ブログにも書いたが、たまたま家にクラシック音楽があり、あたかも卵から孵ったヒヨコのすりこみで、初めてみたものを親と思うように、初めて聴いたのがクラシック音楽だったから聴き始めた感じだ。

その後クラシック音楽はそれほど聴かなくなっていき、その時代の主に日本のアニメの曲やポップスなど、テレビから流れてくる音楽を聴いていた。

しかし中学生で洋楽に出会うと、そこから洋楽にハマっていった。

前述した様々なアーティストの曲を聴いていくようになる。


Rainbowの最後のライブとなる、日本武道館のライブにも参加した。

このライブはYouTubeにも動画はあるが、この時演奏された『Diffcult to Cure』で日本のオーケストラと共演しており、曲が始まりしばらくすると、薄暗い中でカーテンが開いてオーケストラが出て来た時は鳥肌が立った。(この曲はベートーベンの第九とロックの融合という感じの曲だ)

またASIAのジャパンツアーのライブにも参加し、あの頃一番日本で有名な?『Don’t Cry』を聴けたことも良い思い出だ。

この時、何日かあるAISIAのジャパンツアーは、初日だっただろうか、世界中継されたと記憶しているが、その時は『Don’t Cry』はやらなかった。

その世界中継の日に参加した友人から、自分が『Don’t Cry』を聴けたため、羨ましがられた。


その頃、とあるテレビ番組で洋楽のMVを流している番組があり、毎日のように観て聴いていた。

中学時代の同級生の女の子から、Rainbowの名前を出すと、『何がいいの?』などと言われたこともあるが、他の女の子にRainbowの曲を聴かせると、『サイコー!』などと言われたこともあった。

その後高校時代は邦楽と洋楽を交互に聴くようになり、何故か邦楽を主に聴いている時は洋楽が良いとは思わず、その逆に洋楽を主に聴いている時は、邦楽を良いとは思わなかった。

その間、クラシック音楽は聴いていた。

社会人になると、音楽には疎遠になっていった部分もあるが、たまたま友人の車で聴いた音楽のドラムに衝撃を受けて、フュージョンも聴くようになる。

しかし思い返すと、ドラムの衝撃は既に高校時代に、自分が『ドラムの神様』と呼んでいる、村上ポン太秀一のドラムを聴いた時に受けていた。

その後現在に至るまで、様々な音楽を聴いているが、どちらかと言うとやはり洋楽をメインに聴いている。

こうして自分が聴いてきた音楽を振り返ってみると、結構クラシックや洋楽、フュージョンの思い出が強く、邦楽はあまり印象に残っていない。

こうした自分の好きな音楽の傾向をみて気付いたのは、歌詞のことである。

クラシックは歌詞があるものもあるが、自分の聴く曲に関しては歌詞のない曲の方が多い。

クラシック音楽は、基本的に海外の音楽なので、歌詞があっても分からないので、歌詞は分からず聴いている。
歌詞のない曲に関してなおさら、音楽そのものから色々感じ取り聴いている。

洋楽も同じく歌詞は分からない。
そしてフュージョンに至ってはインストルメンタルなので、基本歌詞は存在しない。

つまり、今まで主に聴いて来た特に印象に残る音楽は、歌詞が分からないまま聴いて来たことになる。

そういうこともあって、気付いた時には歌詞がある日本の音楽でも、わざとではないが、『歌詞スルー』になっていた。

恐らくクセのようなものだと思う。

なので今でも曲によっては歌詞スルーになることもある。

しかし歌詞スルーでも曲そのものから音楽として様々感じ取ることは出来る。

そして、あるアーティストの音楽に出会ってからは歌詞をスルーせずに、聴くようになっていった。

洋楽も邦楽も歌うアーティストだが、自分はそのアーティストの歌う洋楽を聴いても、歌詞の意味がわからないので、翻訳アプリで翻訳したり、翻訳された歌詞を読んだりして、どのような曲なのか調べて、聴くようになった。

そのアーティストが歌う洋楽に関しては、歌詞のスルーはせず、なるべく歌詞の訳も調べて聴くようにしている。
しかし他のアーティストで、訳を調べたりすることは殆どない。

最近では、その他のアーティストの音楽で邦楽はほぼ全く聴かず、洋楽をメインに後はクラシック音楽を聴いている。

このような経緯から、どうやら歌詞も含めて音楽を聴くということには慣れてないと思われる。

今後どうなるか分からないが、とにかく音楽が好きであることは変わりないので、自分が一番楽しめる方法で音楽を聴いていきたい。

旅人

あまりにも多くの涙を流した旅人は


大海原を鯨のように雄々しく


悠々と旅を続ける


旅人はいつしかダイヤモンドのように


自らを輝かせ始めた

  

旅人は大海原を


ゴンドラに揺られ


悠々と旅を続ける


時には三日月の下(もと)で


静かに眠り

   

時にはブルー・アイズ・ソウルの音楽を奏で


時には普遍的な音楽を奏でながら


愉しんで旅を続ける

   

更に雄々しくなった旅人は


やがて大海原を後にして


大空へと雄飛していく