最近たまたま思い出したことがある。
結論から言えば『対話の重要性』だ。
人と人との交流は様々な場面で行われるが、人によっては『何となく話したくないなぁ』など、その人の雰囲気や見た目で対話することをやめる場合もある。
しかし、人はやはり話してみないとその人の本当の人間性などは分からない。
自分も以前直販営業をしていた頃、慣れて来ると、何となく『この顧客とは話したくない、、、』と、2度とその顧客には行かないこともあった。
営業なので、そんなことは言っていられない場面も沢山あったが、その場合は売れそうなら、やはり話すしかないので、対話とはニュアンスは違うが、話すことは多々あった。
ただ、どんな人であれ、交流しようとする前から、『何となく、、、』で、終わってしまうと、その人のことは分からず、実は自分にとって気の合う人であったり、実りある対話が出来るチャンスを逃し、交流の広がりを狭めてしまうことになりかねない。
やはり人と人との交流(コミュニケーション)は人間にとって大切だと思う。
少し逸れるが、以前何かで読んだ印象深い対話のことを書いてあるものを読んだ。
それは確か『哲学対話』と呼ばれるもので、実際にこの哲学対話をする人がいた。
名前は忘れたが、荒れた高校に招聘され、こんな学校の生徒は、ひどいやつしかいない、、、、とレッテルを貼られていた学校に来た。
そこへその人が哲学対話を持ち込み、ファシリテーター(対話を促進、手助けする人)と一緒に、車座になって生徒達に、確か何かテーマを与えて喋らせていくようにした(自由に、、だったかも知れない)。
すると、何も考えてなさそうな生徒から、素晴らしい考えを話し出し、それから対話が弾み、次々と対話が成り立ち、若いながらも素晴らしい考え方を持っていることが分かった。ファシリテーターの存在があったこともあるが。
確か同席していた担任の先生もかなりの衝撃を受けたようだ。
やはり人は見た目や雰囲気だけでは分からないものだと、そして今の若い人達は、哲学対話が出来る人やファシリテーターの存在で、全く印象が変わることを教えてもらったようだった。
例え哲学対話が出来なくても、誰でも自分なりの考え方や思いはあり、対話を通してその人のことを理解することは重要だと思う。
因みに、この哲学対話を行った学校はその後偏差値が相当上がり、今まではそんなにレベルの高い大学へ入学した人は誰1人としていなかったのが、青山学院大学など、有名校に合格する生徒が出て来て、以前貼られていたレッテルは影をひそめたようだ。
これは対話の重要性の1つの側面と言えるかも知れないし、哲学対話で自分に自信が持てるようになった証なのかも知れない。
やはり人は対話してみないと本当のところは分からないのではないだろうか。
中には一目みて、どんな人物かを見抜く偉大な人もいるが、それはさておき、対話をすることで、その人の本当の人間性が分かるのだと思う。
闇雲に誰でも話せば良いというものではないが、対話することの重要性はある意味普遍的なものかも知れない。