自分は様々なジャンルの音楽を聴く。
それこそハードロックから和洋問わずポップな曲、クラシック、アニソン(これはそんなに沢山は聴かないが)…聴く曲は色々だ。
自分が記憶のある限り遡ってみると、一番最初に音楽を自分からすすんで聴いたのがクラシック音楽だった。
それは、たまたま家にクラシック音楽があったため、たまたま『何だろう』という感じで聴いてみた。
それこそ『ラデツキー行進曲』や『ハンガリー舞曲』、『おもちゃのシンフォニー』、『トルコ行進曲』…などなど、クラシック音楽の中でも有名な曲が色々あり、それを聴いているうちにクラシック音楽が好きになっていった感じだ。それまでは自分の周りには音楽は存在してなかった。
良い例えが見つからないが、言うなれば『すりこみ』…つまり、卵から孵ったひよこが、最初にみたものを親と思ってなつくような感じで、最初に聴いたのがたまたまクラシック音楽だったため、クラシック音楽が好きになった。
そして、クラシック音楽に対する認識が、他の人と違うことに後々気付くことになる。
いつだったかは覚えていないが、それはある種の違和感だった。
クラシック音楽の曲名などを友達と話すと、何か反応に違和感があったを覚えている。
歳を重ねるにつれて、その違和感は大きくなり、学生時代だっただろうか、確か『クラシック音楽は敷き居が高いから』…というようなことを言われた。
『敷き居が高い?どういうこと?』
始めは全く意味がわからなかった。何せ小さな頃から聴いている音楽で、自分では敷き居が高いなどという認識はない。
その後、時を経るごとに『敷き居が高い』ということの、言わんとすることは理解していった。
しかし『すりこみ』でクラシックが好きになった自分は、結局今でもそうだが、特段他の音楽と変わらないと思っている。
確かにクラシック音楽は時を経ても愛され続ける普遍性のある音楽であろうというのは自分の中であるが、そうは言っても他の音楽と変わるとは思ってない。
自分の中で良いと感じたり、感動したりする音楽はクラシックであろうとポップであろうとそれは自分が好きな音楽であって、何も変わらないという認識だ。
以前ブログに書いた。
『どんな名曲でも、自分で名曲だと思わなければそれは名曲ではない』
まさにその通りで、クラシックの名曲と言われる音楽の中でも、何が良いのかさっぱり分からない…という曲もある。
逆にクラシックではないのに、ここまで感動することがあるのか…という音楽もある。
基本的に自分は和か洋でいえば洋楽の方が好きだが、日本人でも素晴らしい音楽を奏でる歌手もいる。
なのでやはり、結局その音楽を良いと感じるかどうかは自分の感性によるところが大きく、要は自分が良いと感じる音楽ならどんな音楽でもそれは自分にとって『名曲』なのだと思う。
自分は吹奏楽をやっていたため、未だに『吹奏楽をやっていた人はクラシック音楽がなんちゃらかんちゃら』と、何か他の人とは違うというか、ある意味での偏った見方をする人もいる。
しかし繰り返しになるが、自分が好きな音楽ならばジャンルは関係ないし、とりあえず普遍性ということは置いておいて、クラシック音楽を聴く人は違うとか、そんなことは全くないと自分では思っている。
自分の中では音楽のジャンルなどに優劣や格式みたいなものを付けることは好きではないし、実際にそんなものはないと自分では思っている。
あくまで音楽を聴く主体は自分なので、自分が好きであればそれで良いのだと思う。
これからも自分が良いと感じる音楽を聴いていきたい。